【書評】『大唐帝国』 宮崎市定

古代と近世とを結ぶ「谷間の時代」である中世。その時代に東アジアの政治と文化の中心であった唐王朝の歴史を通じて、中世という時代を語る一冊。
 
古代の終焉とはどのような状態を指すのか、後漢で荘園が流行った理由、地方政権が滅亡を免れる方法、関羽張飛の本質的な違い、先進国と後進国の交易で起こること、権力者が家臣を粛正する時、都市を繁栄させる法則、塩の専売が唐王朝にもたらした変化、中世が宗教の時代と言われる理由、などなど。唐王朝だけにとどまらない、筆者の時代も地域も超えた幅広い歴史知識と、そこから導き出される歴史の本質、人間の本質は刮目に値する。
 
正直なところ、この本はタイトルの付け方で損をしていると思う。『大唐帝国』というタイトルでありながら、肝心の唐王朝の話は1/4 ほど。漢の時代に始まり、三国志南北朝、隋、そして唐と古代から中世への中国の歴代王朝の一大叙事詩である。30年以上前の作品でありながら全く古さを感じさせないのは、歴史の本質を衝いた作品であり、人間の本質をあぶりだした作品であるからだと思う。歴史の面白さを、存分に感じられる一冊。いちおし

【書評】『明治維新とは何だったのか』 半藤一利、出口治明

近現代史の泰斗である半藤一利と、当代最高の教養人である出口治明。二人の知の巨人による、幕末から明治にかけてをテーマにした歴史対談。
 
アヘン戦争が幕府に与えた衝撃、若き俊英の阿部正弘が失敗した理由、わびさびが江戸時代に発展した理由、幕末とソ連末期の共通点、勝海舟が偉大になれたわけ、小泉八雲が帝大を追われた理由、幕末と昭和初期の共通点、などなど。視点を幕末の日本だけでなく、世界規模に、あるいは他の時代との比較を入れることで、歴史的事実の持つ位置付けは大きく変わる。真の教養人だけに許された歴史の愉しみ方を、存分に味わえる一冊。おすすめ

【書評】『「新自由主義」の妖怪』 稲葉振一郎

「我々はマルクス主義に匹敵するような体系的イデオロギーとして「新自由主義」なるものがあると考えるべきではない」。そう語る筆者による、社会哲学者の目から見た新自由主義の正体。
 
新自由主義」と呼ばれる一連の思想は、それ自体が大きな思想のくくりであるため、その中にさまざまな思想を内包している。だがそれはマルクス主義や宗教の会派、宗派のように、明確な共通項を持つものではない。それは新自由主義市場経済にしか興味がなく、かつてのマルクス主義のように思想の潮流になりえないからだ。ではこれからの世界は、何をよりどころにすればいいのだろうか。
 
経済学や思想史のバックグラウンドのない人間にとっては、非常に難解で骨の折れる一冊。経済学それ自体ではなく、社会学者の目から見た経済学の役割についての視点が興味深い。一度だけではなく、手元に置いて何度も読み返したくなる一冊。おすすめ

【書評】『世界のなかで自分の役割を見つけること――最高のアートを描くための仕事の流儀』 小松 美羽

「誰もが役割を持っていて、私はたまたま、それに早く気付くことができた。ただそれだけだ」。国際的に活躍する画家であり、独自の死生観を表現し続ける現代アーティストである筆者。その迸る情熱をぶつけた仕事論。
 
幼少期より培われた死生観、20歳で制作した代表作とその呪縛、出雲大社への奉納、ニューヨークでの挫折、その激動の中で、筆者が感じてきたこととは。筆者の描く絵画と同様に荒々しく、それでいて目が離せない魅力を持つ文章。時に鋭く、時におおらかに、自分の仕事、またの名を使命を語る。一つのことを貫く筆者の姿は、純粋なものだけが持つ輝きが眩しいほどだ。世界の中で、自分が何をすべきかを考えさせてくれる良書。おすすめ

【書評】『ヒトラー(下)』 イアン・カーショー

ドイツ近代史研究の世界的権威である筆者による、ヒトラー研究の金字塔、完結編。
 
ユダヤ人迫害の数字による検証、フランス侵攻の舞台裏、軍備計画の不備、ヒトラー支配下の政治体制、などなど。これまであまり語られることのなかった、ヒトラー体制の研究にも紙幅が割かれている。そこから見えてくるのは、あまりにもお粗末なナチの実態。負けに不思議の負けなしの言葉通り、ドイツは敗れるべくして敗れた。800ページを超える本書は、そこから現代のわれわれに多くの教訓を残してくれる。おすすめ

【書評】『貧困と自己責任の近世日本史』 木下光生

「貧困救済に対する現代日本社会の向き合い方を解く鍵は、近世日本の村社会にあるのではないか」。そんな筆者の仮説から生まれた、江戸時代から現代までの貧困救済史。
 
21世紀日本は、生活困窮者の公的救済に冷たく、異常なまでに「自己責任」を追求する社会になっている。では、そのそも困窮者への支援はいかに始まり、今へとつながっているのだろうか。筆者の研究で明らかになったのは、元々村社会では村民相互の支援が主流で、公的支援は明治になって始まったものだということ。「『健康で文化的な最低限度の生活』を謳う憲法25条は、歴史的にみて画期的過ぎるため、その生活保障観念はいまだに根付いていない」との結言が、静かな衝撃として読む者の心を打つ一冊。
 
当時の戸籍からは、家族の名前や年齢、石高から各作物の収入、さらには支出の内訳まで、克明に記録されている。そのような記録が残されていることにも驚きだが、そんな豊富な一次史料を読み解き、通説とは異なる当時の「当たり前」を紐解いていく。今まで常識と思っていた事柄が崩されていく痛快さと、そこから見えてくる江戸時代の人々の息遣い。今の我々に通じる社会や文化が、確かにそこにはある。そんな歴史研究の面白さを追体験できる貴重な一冊でもある。いちおし

【書評】『思考術』 大澤真幸

「生きることに対する違和感みたいなものを概念として捉えていくこと、それこそがライフワーク的なテーマにつながる」。そう語る筆者による、思考を深めるためのヒント。
 
条件反射のように出てくる答えは、たいていの場合本質をとらえていない。さらに驚きには不安が後続するが、その不安を大事にできるかどうかが、真に思考できるかどうかの決定的な分かれ道になる。まるでスキージャンプの選手が、着地への誘惑に抗してできるだけ我慢して飛距離を伸ばすように、深い思考のためには疑問を、問いを、長く持ち続けることが重要。このほかにも、様々なジャンルの書物を下敷きに、知性とは何か、思考とは何かという答えのない問いに挑む意欲作。おすすめ