【書評】『失われた宗教を生きる人々』 ジェラード・ラッセル

中東・西アジア地域は、一般的にはイスラーム世界と思われているが、現実には他宗教の世界である、英国外交官であった筆者による、そんな多宗教世界のレポート。

中東といえばイスラーム教。確かに人口比で見ればイスラーム教徒が圧倒的だが、ユダヤ教キリスト教もこの地域に端を発している。さらにそれらの宗教の一派などを含めれば、インドをも凌ぐほどに、ここは多宗教の世界である。サーサーン朝ペルシアの国教であったゾロアスター教イスラームの一派でありながらパレスチナ人とは距離を置くドゥールズ派、「良きサマリア人」で知られるサマリア人、原始キリスト教の一派であるコプト教、などなど。日本でも名前だけならよく知られている宗教から、もはや消滅寸前の宗教まで、バラエティに富んだ様々な宗教が紹介されている。これらの多くは互いに影響しあい、信者にすら教義はあやふやで、しかも古代語を使用しているため、研究者にとってすら取り扱いが難しい宗教である。筆者が外交官として多くの庶民と触れ合う中で、見つけてきたそれぞれの宗教の信仰、風習、大事にしている考え方など。宗教の専門家ではないからこそ見えてくる、様々な考え方が興味深い。中東を知るうえで、有力な補助線となる一冊。おすすめ

【書評】『インド日記』 小熊英二

日本近代史の教授である筆者による、2か月のインド滞在の所感をまとめた一冊。

筆者が滞在した2000年当時、インドは高度経済成長とグローバリゼーションの中で、急速な社会変化と価値観の動揺、右派ナショナリズムの台頭に揺れていた。伝統と近代が混ざり合い、国家としてのアイデンティティが確立されていく時代。これは筆者が専門とする、近代日本の姿と重なる。値切りの代償とは、アイデンティティを構成するもの、帝国とその外郭の文化、国家統合のために必要なこと、右派の支持層に共通するもの、ヒンドゥー教の排他性、ナショナリズムが生まれる背景、などなど。インドを描いているようで、インドを通じて日本の近代とその文化について語った一冊。おすすめ

【書評】『変貌する民主主義』 森政稔

「多数決に同意するという事は、多数の決定をあたかも自己の決定であるかのように受け入れるフィクションを承認するという事」。そう語る筆者による現代の民主主義論。

日本において、民主主義は当たり前の制度となり、誰もがもののついでに語れるような存在になりつつある。それに対し政治・社会思想史を専門とする筆者が、真正面から現代の民主主義について語った一冊。ポピュリズムが力を持った理由、小泉改革が日本に残した傷跡、マッカーシズムの矛盾、民主主義の赤字、外部からの評価に依存する危険、などなど。旧態依然とした思想ではなく、現代を生きる思想として民主主義ととの変貌を明かした一冊。おすすめ

【書評】『日本のピアノ100年』 前間孝則

「日本におけるピアノづくりの歩みは、単なる”モノづくり”の次元を超えて、西洋への同化と超克という、我が国の近代が抱えてきたテーマと密接に関わりあってきた」。そう語る筆者による、日本のピアノづくり100年の歴史。
 
明治初期、学校教育で音楽の授業が始まった。それに不可欠なのがオルガン、そしてピアノである。当初は輸入品ばかりであった市場だが、様々な職人たちがピアノの製造に取り組む。後に日本のピアノ産業は世界最大の製造数を誇り、また品質においても超一流のピアニストたちから絶賛されるまでになった。ピアノづくりを通して日本のモノづくりの軌跡を描いた一冊。流れ者の職人であった山葉寅楠が浜松で受け入れられた理由、浜松がピアノ製造のメッカとなったきっかけ、ヤマハが作り上げた新しいビジネスモデル、ピアノと団地との共通点、日本のピアノづくりが持つ優位点、日本のピアノ産業が向かうべき方向、などなど。明治のキャッチアップ期から戦後の興隆、そして新たな試練に直面した現在と、ピアノ産業が辿ってきた100年は、日本の産業が歩んできた道と軌を一にする。本書で繰り返し述べられているのが、大量生産される「工業製品」と、職人が手作りする「工芸品」や「楽器」とは違うということ。ピアノ産業が辿ってきた道と、直面する課題とは、多くの人々のヒントとなるはず。おすすめ

【書評】『日本軍の小失敗の研究』 三野正洋

「敗者の側にこそ教訓は多く残っている」。そう語る筆者による、ミクロな視点からの失敗の本質。

日本軍の「大失敗」とは、人口2倍、GNP12倍で、国力は10~50倍の大国と全面戦争したこと。マクロな視点で見た失敗の本質は、この1点に尽きる。だが歴史から教訓を得ようと思えば、よりミクロな視点からの分析も不可欠である。日中戦争が日本に与えた深刻なダメージ、標準化というものを知らない部隊の非効率さ、戦闘機設計における致命的な欠陥、兵士の能力を100%発揮させるために米軍が行ったこと、情報軽視の末路、対潜水艦作戦における日英の決定的な違い、新兵に最初に教えるべきこと、カタログスペックに現れない日米空母の戦力比、などなど。「負けに不思議の負けなし」の言葉通り、負ける要素がマシマシてんこ盛り。たとえ日米の国力が同じであったとしても、勝てるわけがない戦いであったことが一目瞭然である。歴史から教訓を得るために、必読の一冊。いちおし

【書評】『若き将軍の朝鮮戦争』 白 善燁

平壌一番乗りを果たした朝鮮戦争の英雄であり、33歳で韓国軍初の大将に任じられた筆者による回顧録
 
筆者は満州国軍官学校で軍人教育を受け、戦後は若くして軍の要職にあり、常に前線で朝鮮戦争を戦い抜いた。また朝鮮戦争の休戦会談においては韓国代表を務め、39歳で軍を退いてからは外交官として、交通大臣として、国策会社の社長としても活躍した伝説的な人物である。そんな人物の回顧録が、面白くないわけがない。戦前日本の崩壊をもたらした意外なきっかけ、米軍と比べた帝国陸軍の最大の問題点、ソ連軍や中国軍の戦術、日本の戦後復興を予見させたある出来事、秀吉の朝鮮出兵日清戦争から学んだ戦術、マッカーサーが解任された背景、人材育成がもたらした予想外の結末、などなど。常に前線にあって戦い抜いた指揮官だから言える、戦場の真実。さらにはともに戦った日本軍や米軍から学んだ人を活かす要諦とは。白眉は朝鮮戦争の手に汗握る戦記であり、戦場の息遣いすら感じられる迫真の描写である。だが一流の人々にもまれ、様々な分野で活躍した筆者ならではの人間に対する深い洞察も見逃せない。いちおし

【書評】『投資バカの思考法』 藤野英人

「投資とは、自分以外を信じること。自分以外に賭けること」。そう語る、ファンドマネージャーとして活躍する筆者による、投資論、仕事論。
 
筆者は長年投資業界で働いた後、投信運用会社を起業し、「ひふみ投信」という日本株専門のファンドの運用責任者を務めている。「投資をしない」という決断がもたらすもの、リスクのない世界とはどんな世界か、日本で格差が固定し始めている理由、あえて嫌いな会社の株を持つ続けるわけ、プロとしての確信はどこから生まれるか、忙しい人ほど行っているあること、本物のお金持ちとは、などなど。変化の激しい投資の世界で、長期間にわたり結果を出し続けてきた秘訣を、惜しみなく明かした一冊。投資や仕事に対する向き合い方が変わる一冊。おすすめ